2010年05月20日

『アブラクサスの祭』玄侑宗久




−「そうか、・・・あるがままじゃなくて、ないがまま、なんだね」(p130)

あとがきのまとめ
アブあとがき.jpg


映画を先に観たので、どうしても映画ベースで読んでしまいました。
小さな設定の違いが多いことに気がつきました。
例えば原作だと
・ナムの死まで書かれない
・庸平→和菓子屋ではなく漬物屋だった
・主人公と庸平との交流見えず
・庸平の息子は登場しない
・浄念は東京のライブハウスにも郡山の楽器店にも行かない。
・浄念はライブ中、脱がない
などなど。

主人公の内面の葛藤を中心にした作品なので、忠実に映画化するにはあまりに難しかったのだろうと思います。そこで、周囲の人にもスポットを当てながら、もっと広い視点での映像化を図ったのでしょう。確かに映画としてはその手法で正解だったと思いますが、そういうものと初めに捉えてしまったので、原作の、主人公中心のつきつめ感には戸惑いました。

結果、映画は周りの人の温かさに包まれた、救いの見えるものになっていますが、原作はもっとシビアで、人々はさほど寄り添っておらず、主人公はどこまでも理解しあえずに孤独です。たとえライブ中には恍惚感を味わっても、祭りの後はどうなっていくのかわからない不安定さを感じました。

妻、多恵が浄念のことを「王子」と呼んでいるのかと思っていたら、本当は「おじ(さん)」だったと知り、ぜんぜん意図するものが違ったので、笑いました。

<引用>
人間にしかできないこと。それは祈ることと呪うことだ。つまりそれは、言葉を保ち続けることなんだ。 124

「ナム・アブラクサス」 133

ぼくはこんな幸せがこれ以上続いたら自分が壊れてしまうような気がした。 141

自分のなかに存在しないものは自分を興奮させはしない。 143

「天道のさらに上に有頂天っていうのがあるんだけどね、もちろん永くは続かないんだ。そして地獄の下にも金輪際っていう底みたいなのがある。そこからまた引き返してくるんだ」 144
posted by Lily at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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